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dhammA manopubbaGgamA manoseTThA manomayA ce paduTThena
manasA bhAsati vA karoti vA tato dukkhaM naM anveti vahato padaM cakkam iva

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で
話したり行ったりするならば、苦しみはその者につき従う。車を引く牛の足跡に車輪がついて行くように。

中村元はダンマ(法)を、この箇所で「ものごと」と訳されているが、
汚れた心によって作り出されているダンマ(法)が、その人を苦しめている
とあるように、外世界の事象をその人が作り出しているのではなくて
外世界の事象をその人の心(意)が、どう認識したかによって、その結果が
その人にふりかかると説かれているのだ

対句となっている次の句では
「清らかな心」で行為すると、その人に福楽が結果すると説かれている。
外世界も心のうちであると説かれているのではなくて
心の持ちようによって結果が変わると説かれているのだよ

精進すべし、大山君