おはようございます。
>>33 コズモさん。
>隣人を愛することは、神を愛することとは、全く同一ではありません。
>神を愛することと、隣人を愛することが同じであれば、序列など必要なかったでしょう。

その聖書箇所は、序列があるようで、ないと思います。
同様にとありますし、また神への愛とは何か、が隣人への愛であるからです。
隣人への愛が働く者は、神への愛の相互交信受信機が、壊れていないので
機能するからです。

子供がなくなった理由は、書かれていないのでわかりませんが、
母が子を思う気持ちは、他と比較にならないほど深いのが、通常です。
神は何故、助けてくれなかったのかとクリスチャン母子であっても、
嘆かない方がおかしいです。

聖母マリアの哀しみは、何が起きるか分かっていても、復活されると信じていても、
深いものだったに違いありません。
イエスを身ごもった時、神の御心にゆだねられ、その愛しいイエスは、死に際して
神の御心にゆだねられと、「生と死」が 神で始まり神で終わるとしても、
生を担当した、マリアの苦痛は、いかほどだったことでしょう。

>神よあなたも、ご自分の子を失うことの辛さを知っておられたのですね。

それで、慰めを得たのなら、信仰が支えになったのでしょう。
ですが、イエスの磔刑の場合は、隣人愛の無さから生じたのですから、
その辺は、どうなのか、と思いました。

>>35

>しかし隣人を愛するあまり、神を呪うことは、隣人を最も愛する結果とはなりません。

ごめんなさい、意味がわかりませんでした。