>>247
>人々がイエスに脅威を感じたのは、イエスが隣人愛そのものであったからです。

ことさんの言われるとおり、イエス様の隣人愛は完全です。
そして、イエス様は神のひとり子であり、神でもあります。

神の御名によってが、よく理解できなければ、イエスの御名によって
愛します、でもいいのです。(というかこちらが主流です。)

神がキリスト教だけの神であるとする誤解が、
他宗教の弾圧を生んだのだ思います。

キリスト教の説く神は、全能の唯一の神であり、
一人子イエス様の命に変えて被造物を愛される、
神であるということだけです。

他宗教の神概念が、そういう愛の神の本質を指し示しているとすれば、
キリスト教と同じ一つの神を指し示していると思われます。

また宗教を持たない人々にあってでも、
心のなかに、そういう神の本質を感じている人にとっては、
キリスト教徒同じ一つの神を心にもっていると思われます。

どちらにしても、イエス様の十字架の贖いの業は、
神の被造物に対する絶対の愛を、目に見える形で
見せてくれたということです。

ですから、パウロは、あなた方が知らないで拝んでいる
神を教えてあげましょうと、ギリシャの路傍で声を出されたのです。