>>42
それ、向いてる方向が違うと思いますよ。

瞑想等によって直観的に把握されたものを言語化して空だの幻想だの己も空だのって言ってるわけでしょ?

体験したものを腑に落とす、つまり言語化されたものに納得しても、所詮は言語によって構築されたものは虚妄ですから錯に錯を重ねる様なもので、体験そのものであればいいんではありませんか?

そこが盤珪さんのいう「不生」でおる事だと思うんですけどね。