見ている風景=自己はどうだ?

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坐禅以前から、見性まで、順を追って整理してみよう

1、坐禅を知らない人→自己(心と身体があると思っている) と 風景が別れている

2、坐禅を始めた頃、風景外界の音(犬の無き吠えや車の音等) が邪魔に感じる

3、風景外界が気にならなく為って、自分の身体の呼吸や心の思いを客観視できる

4、心が安定して、呼吸も静になり、徐々に思いの無い安静な状態が現れてくる

5、心に思考・想念が全く起こらず、呼吸もほとんど止まったかの様の微かに為る

6、思考・想念は完全に無くなり、次いで、手足の感覚も【自分の】ものでは無いように為り、感覚が消え初め、遂には身体の感覚も消えたように為り、

最後は、感じている心(意識)のみが、清浄な心として風景外界を、五感がただ映している様になり、まるで丸い純粋意識の鏡に、風景が写っているだけとなる

6と7の中間に、1番目の悟りとして、想念の空の三昧に入りっぱなしになり、自我の崩壊を如実に見て、遂に何物にも自己同一化されない、純粋意識のみの自個として覚醒する、夢を一切見なくなり、日中に一切の思いも起こら無くなる、心を超越する

続く