>>829 おぬしの妄想がどのようなものか漸くわかってきたのじゃ。
 つまりおぬしは悟りとは禅定の延長にあると妄想しているのじゃな。
 禅定の一番上が悟りであると思い込んでいるのじゃな。

 実際には禅定も悟るための手段の一つに過ぎないのじゃ。
 禅定などなくても悟れるのじゃ。
 マハリシも全く禅定などしていないが、悟りを得たのじゃ。
 それを認めたくないからおぬしは、マハリシは後に禅定して悟ったとか嘯いていたのじゃな。
 月と月を指し示す指を同じと思っているのじゃ。
 おぬしには永遠に理解できないかもしれんが、理解できる者のために書いておくのじゃ。

>>832 わしのブログに書いて在るのじゃ。
 いってみるとよいのじゃ。