> 《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》
> 創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。
> 言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在する

> 聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、
「理」があるという、意味になる。
これは、「先ず始めに言葉ありき」の、間違いでした。

先ず始めに言葉がある。
その言葉とは「ロゴス」であり、それは、物語ではなく「理」であること、
お筆先が、まさに、「この世は理で責めたる世界」だと、示している通り。

即ち、原典とは、「理」であって、物語ではない。

聖書と言う「こふき」を有しながら、大工のイエス様の教えを、宗教高山と政治高山の横暴で、泥海にしてしまった、
しかし、「土壌」は、あるのです。
「どぢょ」は、土台となるべき「序」は語られていて、「こふき」として、あるのです。
謙虚に、大工のイエス様の教えに耳を傾けないとすれば、それは、こちらが宗教高慢だということです。

三十一歳で「宮清め」したイエス様の、実行力こそ、天理青年の手本だと、そういう見方も、正しいと思います。