予言と言いますと、何時に何が起きるという予言だと、そう認識されています。
しかし、何がおきるかは、実は人間が決める。
その、心の理の結果として、結末が待っているわけです。

「五月五日に」と言う理は、「五つ理を吹く」です。
そして「五分五分」です。

まいた種が生え来る。それが「五つ理を吹く」の五日の理です。
その、理の吹く旬に、神の残念を見ると言うのは、それは「埃」を積み上げたと言うことに相違ないわけです。
そんなことしてると、いつか、神の残念を見るよと、言うのは、「いつか」・・「五日」。
そして、それは、五分五分。
天理教信者であれ、なかれ、みな五分五分。
理には隔ては無い。

そして、五の理の神様は、くもよみさま。
情報とは「五の理」。
それを、捜査して、人の心を惑わすと言う悪は、「高山」の悪そのものです。

おやさまの、おふでさき四号の予言は、人間が、「四の理」と「七の理」を、誠として通らせて頂いたのか、
それとも、埃として通ってしまったのかと言う、結末になるのであり、
それは「夜」か「昼」かは、心次第の道と言うことです。
それには、隔て心の無い世界、情報操作に惑わされない世界が、実現されなければならない。

一列兄弟とは、実に、重い教えです。