明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)夜十時
刻限御話
それ/\聞いて一寸問い、組替え楽し道なるや。
こうなる願の道、言う事ももうとっと楽しむ内々、刻限成る成らん、道何をして居るやら、こういうような事も言い。
聞き分け、よう聞き分け。
刻限延ばし、さあ/\思案。
五十年目に、目で見て改心。

日送りして言い、話して置く。
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本席が死を迎える三日前の、出来事として、「組み替え」の予言、「刻限のばし」の宣言、「五十年目に改心」の予言。
そういう、重大な内容である、「おさしづ」が、出されています。

まさに、そのとおりの人間であり、天理教団は「五十年後」どんな姿を見せられたでしょうか。
明治21年 1888年 天理教教会本部の開始
      1937年 応法の道 五十年目。


 1937(昭和12).7.7日、日中戦争(支那事変)勃発。

 「みかぐらうた」は、よろづよ、三下り目、五下り目が削除された。
おふでさき、おさしずも各教会から回収され、天理教教典のみを教義として時勢に協力した。

戦争協力の道にまいしんする事となったのは、神様から見ての残念そのものだと思います。