慣性系の座標変換の議論の特徴は
ローレンツ変換にしても原理そのものに明確な証拠がないということである。
実験的に確証を得ていない状況で原理を設定している。
となればこの議論で重要なのは何かというと
途中で論理が折れることなく最後まで言い切ることができるかにある。
その際、原理が妥当かどうか、なぜその原理が相応しいのかという
原理そのものの検証というのはローレンツ変換においても行われていない。
重要なのはMM実験その他の種々の実験を満たすことと
摂動までの流れを折れることなくクリアに説明できるかにある。
よって、なぜ、ローレンツ変換における光速度不変は成立するのかとか
なぜ、KOSHIKI変換における疑似的光速度不変が成立するのか
ということに対する説明責任は発案者にはそもそもないということになる。
最後まで押し通せる論理が優秀なのであって
スタート段階の原理が相応しい、常識的かどうかというのは
全く無意味な議論であるといえる。
勿論、それを説明できるなら素晴らしいが、少なくとも
ローレンツ変換の光速度不変原理にはそのような説明はない。