今までの考え方は、
t’=10とt=5が同時であり絶対時間で同じであると考える場合であって
空間の座標間の距離自体が膨張しているわけでも収縮しているわけでもなく
単に光速度不変を満たすように、光の存在座標が系によってずれるだけであることを
考慮するとき、時間に関しても同様に考えるのであれば、
絶対時間による同時性を議論すること自体が無意味な話で
同じ事象でありながら、単に発生する時刻が異なるということなのかもしれない。
これは時間の進みはどの座標系でも同一であり、
同一の事象の発生する時刻にずれが生じるているに過ぎないという考え方で
重力が存在しない状況ではこちらのほうが妥当性はあるような気もする。
(採用すると矛盾が生じそうではある。)
そうなると、それぞれの座標系での時間の進みには違いがないということになる。
そうであるなら時間の遅れの議論はその時点で破綻してしまう。
少なくとも言えるのは動いている側の座標系の時間経過が遅れるということは
絶対にありえないということである。それが成り立ったとしても
絶対時間による同時性、もしくは、座標系によらず時間の進みが一定であることの
どちらも獲得することができないため、意味不明な座標変換となってしまうからである。