私は>>273を書き込んだ人ではありません。

EMANの掲示板が存在した頃に、そこで議論になったのですが、
まず、一般相対論はめんどくさいので、特殊相対論のみの話です。

特殊相対論の座標変換は、エネルギーの存在しないミンコフスキー時空で、
二人の観測者が同じ物理現象を、各々、どのように観測しうるかを示すものです。

ただし、基底ベクトルの大きさを変えない「座標変換」は「座標軸の変換」とでも名づけるもので、
共に同じ系に存在する観測者同士ならば、自由に選んでよいのですが、
基底ベクトルの大きさが変わるような(つまり、座標軸の目盛の穿ち方を変えるような)「座標変換」は、
自由には選べません。
なぜならば、同じ系の観測者間で、物理現象の観測結果を共有できなくなってしまうからです。
よって、一人の観測者が基底ベクトルの大きさを決めたなら、同じ系の観測者は「右へ習え」で、
それを採用する「縛り」を受けます。

もう一つ理由があります。
例えば、曲面上の世界に存在する二次元生物は、自身の世界をどのように数式化するでしょうか?
それは、曲面に張った正規直交基底をもつ座標系を、その生物の位置を接点とする接平面上に、
射影した座標系を用いて示すしか方法がありません。
当然、座標変換の過程で基底ベクトルの大きさが各座標ごとに変化することになります。
つまり、我々は、座標軸の目盛の穿ち方を変えることで、時空間の曲がり具合を表現するしか、
数式化の手段がないのです。
それほど、センシティブな作業を自由に行ってよいはずは無いでしょう。

結局、ミンコフスキー時空間に存在する二人の観測者の間で成立する座標変換式には、
在りうるものと、在りえないものに分かれるのです。