確率概念って形式化するのがマジで無理だなってつくづく思ってたわ
(例:当たる確率が1/2かと思いきや2/3になってしまう何とかのパラドックス)

だって、確率って現実世界を特定の思想(あるいは着眼点)によって特定部分だけを切り抜いて、数値化するものなわけだけど、
なぜその思想をもちいて世界の特定部分を切り抜かなきゃいけないのかという理由・根拠って特にないよな。(あえて言うならば、「合理性」か)
つまり、「いやいや、そんな方法を取らなくても、こっちのやり方でもいいじゃん」がいくらでも差し挟める。
んで、その別の着眼点が正当化されるのも、自然言語による説明だけであって、何ら形式性もない。

であるかぎり、「お前のやり方は間違ってるけど、俺のやり方は正しい」っていう論は”饒舌である限り”言おうものならいくらでも差し挟めるやろ
(だからこそ上記のパラドクスがある)