そもそも、公理主義とは理論が前提となる仮定から論理的に導かれる体系であるべきというもので、どんな状況においてもどんな前提でも好き勝手に設定してよいとかいう主義ではないんだが。
順序固定は本当に公理に基づくものか。自転車5台のタイヤを1台目2個、2台目2個・・・と数えるのは正しく、前輪5個、後輪5個と数えるのが間違いというのは、如何なる仮定によるものなのか。単に順序に意味があるだけでは、2×5でも5×2でも正しいことに変わりない。
仮に順序有りとした場合の論理体系が破綻してないとして、それは小学生に教えるのに妥当なものなのか。