例えばこういうことです
接線とはなにか、という問いがある
私たちのイメージの源泉には円があってそこに引かれる直線を思い浮かべてる
あらゆる曲線を円の変形とみることで接線の理解は直観的に得られているはずです
しかしそれを改めて言語化しようとするとなんだかうまくいかない
ユークリッドみたいに素朴に一度しかそれに接しないとかいったら必ずそれを上回る2点や3点で接する曲線が提示されるからです

だから私はそれを”逆定義”と呼んでるのですが、接線を微分によって定義することをやる
微分係数の傾きをもつ直線が接線であると
接線を求めるための微分であったのが、微分が先にきて接線があとになる
それは確かに正確でしょうが、なんだかなあと思いませんか

極限についても同様です
私たちの無限に対する直観的理解があって、事象への理解はそこに根ざしているはずなのに
いろいろややこしいから極限をこうであるとεーδのように先取りして定義してしまうのですね
それは確かに正確でしょうが、なんだかなあと思いませんか

そこで置き去りにされてるのは、それを欠いては思考そのものの意味がなくなる私たちの直観的理解です