>>292-293
なるほど

市ヶ谷の事件=三島事件(下記)
1970年とすると
4年後は、1974年か
そのころは、某名誉教授は 京都大学の学生だったかも
です

Nirenberg、”20世紀で最も傑出した数学者の一人として考えられている[1]”か
勉強不足で、知りませんでした (^^

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
三島事件(みしまじけん)とは、1970年(昭和45年)11月25日に作家の三島由紀夫(本名・平岡公威)が、憲法改正(憲法第9条破棄)のため自衛隊に決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件である。三島が隊長を務める「楯の会」のメンバーも事件に参加したことから、その団体の名前をとって楯の会事件(たてのかいじけん)とも呼ばれる[1][2]。
経緯
総監を訪問し拘束
舞台となった市ヶ谷駐屯地。事件当時の看板は墨文字の書体で「陸上自衛隊市ヶ谷駐とん地」となっていた[10]。渦中となった東部方面総監部は1994年に朝霞へ移駐している。
1970年(昭和45年)11月25日の午前10時58分頃、三島由紀夫(45歳)は楯の会のメンバー森田必勝(25歳)、小賀正義(22歳)、小川正洋(22歳)、古賀浩靖(23歳)の4名と共に、東京都新宿区市谷本村町1番地(現・市谷本村町5-1)の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地正門(四谷門)を通過し、東部方面総監部二階の総監室に通じる正面玄関に到着。出迎えの沢本泰治3等陸佐に導かれ正面階段を昇った後、総監部業務室長の原勇1等陸佐(50歳)に案内され総監室に通された[11][12][注釈 1]。
この訪問は21日に予約済で、業務室の中尾良一3等陸曹が警衛所に、「11時頃、三島由紀夫先生が車で到着しますのでフリーパスにしてください」と内線連絡していたため、門番の鈴木偣2等陸曹が助手席の三島と敬礼し合っただけで通過となった[10][注釈 2]。
ソファで益田総監と三島が向かい合って談話中、話題が三島持参の日本刀・“関孫六”に関してのものになった。総監が、「本物ですか」「そのような軍刀をさげて警察に咎められませんか」と尋ねたのに対して三島は、「この軍刀は、関の孫六を軍刀づくりに直したものです。鑑定書をごらんになりますか」と言って、「関兼元」と記された鑑定書を見せた[11][16]。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
ルイス・ニーレンバーグ(Louis Nirenberg、1925年2月28日 - 2020年1月26日)は、カナダ系のアメリカ合衆国の数学者であり、20世紀で最も傑出した数学者の一人として考えられている[1]。名前は日本語で「ルイス・ニレンバーグ」とも綴られる。
ニーレンバーグは、線型・非線型偏微分方程式(PDEs)とその複素解析と幾何学に基礎的な貢献をした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Nirenberg
Louis Nirenberg