>>220-221
「可換環と微分」
書店にあったような、なかったような

>中井喜和

中井喜和先生か
不勉強で初見ですが、下記ですね
海洋出版社 月刊“マセマティクス”ありましたね

https://www.math.kyoto-u.ac.jp/alumni/bulletin.html
(京大数学科同窓会)設立記念誌 2015年
https://www.math.kyoto-u.ac.jp/alumni/bulletinm/nakai.pdf
大学を卒業した頃のこと
中井喜和(なかいよしかず)大阪大学理学部教授
マセマティックスVol.1 No.1(1980) より転載 1949年(昭和24年)卒タイトルの所属は1980年当時のもの

 このたび海洋出版社が月刊“マセマティクス”を創刊されるについて雑文の寄稿を求められたとき,柄にもなくふと何か書いてみたいと思ったのは年のせいであろうか.思えば戦後,おそまきながら京都大学を卒業してから,すでに30年の歳月が過ぎ去った.数学者になろうなどという大それた野心が初めからあったわけではなく,ただ昔の人のいい草ではないが,人がものする数学の論文なるものを,自分にもかけるものかどうか,一度はためしてみたいと思ったのが,そもそもの始まりである.幸いにして卒業後2年目にものした小論文が印刷になり,それ以来いくつかの論文を書き,人にも認められ,いつのまにか数学者の仲間にもいれてもらい,今日に至った.ここまでくるには,もとより自分一人のカではなく,よき師,よさ友に恵まれ,尻をたたかれたり,手をとって引張ってもらったりしたおかげである.思い起こせばいろいろのことがあった.それらを思いだすまま書き綴ったのがこの小文である.わたくしの拙ない体験などを書き残しても,何ほどの役に立つとも思えぬが,それでもわたくしを育てて下さった先生や先輩たち,またともに相励まし競い合った友人達のことを書き記しておくことは,まんざら無意味なことではあるまい.それはまたわたくしを育ててくれた人々への感謝の辞でもあり,儚なかりしわたくしの青春への鎮魂譜でもある.

 わたくしが代数幾何学を専攻するようになったのは,もとより卒業後秋月先生のところで,指導をうけたためであるが,A.WeilのFoundationsofalgebraicgeometryに負うところが大きい.Foundation は1945年(昭和20年)に出版され,日本に輸入されたのはいつか定かではないが,わたくしの記憶に誤りがなければ昭和22年には早くも秋月先生のところに1部あったと思う.わたくしは戦争中海軍に召集されていたので,京大にはいったのは復員後の21年の春であるが,22年頃には松阪輝久氏が(わたくしの1年上)すでに秋月先生の部屋で,タイプでFoundationを写していたと記憶する.まだ世の中は食糧難の時代で,闇市と闇物資が横行し,戦後の無秩序状態がぬけきらず,遂には餓死者さえでたという時代の背景を考えれば,このことは驚きに値することである.
 秋月先生は戦前よりイデアル論を通して,代数幾何に興味をおもちであったのであるが,いち早くWeil の仕事の卓抜さと,先見性に着目されたのはさすがであると思う.その頃よりもう少し後のことであるが井草準一氏を東京文理大より京大助教授に迎えて,京大の古い体質の改善に向かって第1歩をふみだされたのも秋月先生の卓見であった.井草氏は当時すでに新進気鋭の学者として第一線で活躍しており,わたくし達に大いに良い刺激を与えてくれたものである.
つづく