つづき

 昭和25年という年は,永田,森川両君が名古屋大学を卒業した年であり,25年秋から26年にかけてその当時名大の助手であった小泉氏が湯川奨学生として阪大に来ていたのであるが,大変多くの時間を京都で過したように記憶する.27年には西君が京大を卒業している.このように,24年ころから30年ころにかけて,京都大学の数学教室には代数幾何学を専攻する人が,入れかわり立ちかわり出入りして誠に賑やかなものであった.上にすでに名前がでた人の外には,玉河,佐竹,志村,小野,谷山氏らも何度か京都を訪れたことがある.そのような雰閉気の中で,井草氏がPicard 多様体の解析的な構成に,松阪氏が同じくPicard多様体の代数的な構成に成功し,大いに気をはいたものである.その他中野,永田,森川,西,西村の諸氏も活発な研究を行なっていた.及ばずながらわたくしもある程度の成果をあげ,いくばくかの貢献をしたと自負している.しかしこのような状況を演出されたのは何といっても,秋月先生の功績であった.
以下略す
以上

追伸
”Foundation を大学院のセミナーに使用したことがあった.その中にN君という人がいたが,どうもその人にとってはFoundationは全然面白くなかったらしく,セミナーでの出来は大変悪かった.しかしその後N君は,岡先生のところで多変数函数論を勉強することになり,それが性に合ったらしく,今ではその方面で立派な業績をあげている.”
か
はて?