はたから部外者が記録や経歴、数字だけ見ると

東大の同期にO本とG我がいた
O本は理学部長も務めることになる政治力のある大先生につき、G我は後に助教授で東大を去る若手に師事する
二人は修士から博士号取得まで同分野、ナビエストークス方程式を研究し、修士論文をベースにO本はJ. Fac. Sci., Univ. Tokyo(紀要誌)に2本の論文を掲載、G我はMath.Z.に被引用数170の論文を掲載する
O本は東大助手に、G我は名大助手に職を得る
暫くして、O本は東大助教授、そして数理研助教授、さらに30歳台で教授と日の当たるコースをたどり、G我は北大講師、助教授、教授のコースをたどる
O本は42歳で数値解析分野のICM招待講演者として一流数学者の仲間入り
G我も同時期に業績を認められて秋季賞を受賞、5年後50歳を前に東大に異動、20年遅れで非線形PDE部門のICM招待講演者として一流数学者の仲間入りを果たす
これまでO本の論文数は講究録やプロシーを含めて105本、師匠のF田同様に分野専門誌中心で他分野にもわかるようなジャーナルへの掲載はごく少数で著名誌はない
G我の論文数はコミコミで272本
他分野にもわかるようなジャーナル掲載はS級Acta*1, COPAM*4で5本、A級Duke, Indiana他で16本、分野誌A級JDE, CMP他で12本、Math.Z.他のB級誌以下は略

他分野の感覚だと、修論Math.Z.の被引用数170は抜群ではなくても業績十分なのに、紀要論文のO本が残り、G我は名大⇒北大のドサまわり、北大でも講師⇒助教授の遠回りコース
G我が不遇だったようにしか思えないし、他分野からざっと見た論文業績では秋季賞も小平邦彦賞も当然で不思議じゃないように思える
単に大先生の弟子じゃない東大出身者の逆転這い上がりコースを辿ったということなのでは