>>326 追加
>さらに 付言すれば 【古池や蛙飛び込む水の音】で 芭蕉が 俳句で表現したのは
>”水の音”そのものではなく、蛙の ”水の音”が聞こえるほどの静けさだってことです
>日常 自然言語表現では、周囲の付随する文言や 文脈で、同じ単語でも 意味が違ってくる ってことです

余談ついでに
下記の 自己言及のパラドックス、嘘つきのパラドックス
「この文は偽である」という構造の文

これから、”集合論におけるパラドックス (ラッセルのパラドックス)”
が出て 素朴集合論は大混乱

だが、日常言語では 嘘つきのパラドックス 「この文は偽である」という構造の文 があったからといって
特別の対策は いらないのです(日常会話を 公理化するなど ムリですしww)

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%A8%80%E5%8F%8A%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
自己言及のパラドックス
自己言及のパラドックス(じこげんきゅうのパラドックス)または嘘つきのパラドックスとは、
「この文は偽である」という構造の文を指し、
自己を含めて言及しようとすると発生するパラドックスのことである。
この文に古典的な二値の真理値をあてはめようとすると矛盾が生じる(パラドックス参照)。

「この文は偽である」が真なら、それは偽だということになり、偽ならばその内容は真ということになり……というように無限に連鎖する。同様に「この文は偽である」が偽なら、それは真ということになり、真ならば内容から偽ということになり……と、この場合も無限に連鎖する。

集合論におけるパラドックス (ラッセルのパラドックス)
→詳細は「ラッセルのパラドックス」を参照
集合論における典型的なパラドックスは次のようなものである。これは特に、バートランド・ラッセルが議論の対象としたことで知られる(ラッセルは述語論理における同様のパラドックスについても議論している)。