東京裁判では「平和に対する罪」を犯したA級戦犯の28人が裁かれ、
東条英機元首相ら7人が死刑になりました。「東京裁判史観」という言葉が生まれるほど、
裁判が認定した歴史を受け入れて良いのかどうか、日本では多くの葛藤がありました。
おおざっぱに言えば、右派の人々は「勝者による一方的な断罪だった」と怒り、
左派の人々は「天皇や731部隊などの責任を追及していない」と憤慨しました。

米ワシントン大博士課程で現代日本史と国際関係を研究し、
第2次世界大戦を専門とする研究者のディラン・プルング氏は、
東京裁判の目的について「勝者の正義と、連合国の共同占領という
形式の中で米国の支配を強化するという狙いがあった」と指摘します。
そのために、後付けで「平和に対する罪」をつくったわけです。
1945年3月の東京大空襲の責任者であるカーティス・ルメイ将軍は、
後に「もし戦争に負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。
幸いにも、私たちは勝った側にいた」と語っています。