>>467
>非古典論理が出てきた背景は、いくつかあるが
>その一つは、無限集合論にあって
>例えば、有限を否定したら 無限だが
>しかし、無限を否定したら 有限か? という疑問がわく

シロウトがぶつくさ言っているなw
この 有限 vs 無限 の議論では、
下記のデデキント無限が参考になる
要するに、有限 vs 無限 の議論では
1)無限を、どう定義するか?
2)基礎とする公理系をどうするか?(特に選択公理をどうするか?)
によって、いろんな議論がありうるということだね

繰返すが、無限の定義と 基礎とする公理系とを決めずして
有限 vs 無限 のシロウト議論は、できない■

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%87%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%88%E7%84%A1%E9%99%90
集合A がデデキント無限(Dedekind-infinite)である、またはデデキント無限集合であるとは、A と同数(equinumerous)であるようなA の真部分集合B が存在することである。つまり、A とA の真部分集合B との間に全単射が存在するということである。集合 A がデデキント無限でないとき、デデキント有限であるという。

デデキント無限は、自然数を用いないような最初の無限の定義である。
略

通常の無限集合の定義との比較
デデキントの意味での“無限集合”は、普通の意味での無限集合と比較されるべきであろう:
集合A が無限であるとは、どのような自然数 n に対しても、{0,1,2,..., n -1}(有限順序数)と A との間に全単射が存在しないことである。
無限とは、全単射が存在しないという意味で文字通り有限でないという集合である。

19世紀後半、多くの数学者はデデキント無限であることと通常の意味の無限は同値であると単純に考えていた。しかし実際は、選択公理(“AC”)を除いたツェルメロ・フレンケルの公理系(通常、“ZF”と表記される)からは、その同値性は証明されえない。弱いACを使うことで証明でき、フルの強さは要求されない。その同値性は、可算選択公理(“CC”)より真に弱い形で証明できる。

ZFにおけるデデキント無限
どのようなデデキント無限集合A も以下の条件を満たす。

単射ではないが全射の、A からA への関数が存在する。
このことを、“A は双対デデキント無限である”という。A が双対デデキント無限であるならばA がデデキント無限であるということは(ACを除いたZF上で)証明可能でない。

どのような双対デデキント無限集合も次の(同値な)条件を満たす、ということがZF上で証明できる。
略
(この条件を満たすことを、弱デデキント無限(weakly Dedekind infinite)であるということがある。)

弱デデキント無限であるならば無限であることはZFにおいて証明されている。

また、整列無限集合はデデキント無限であることもZFにおいて示されている。

選択公理との関係
整列可能な任意の無限集合はデデキント無限である。ACは任意の集合が整列可能であることを述べた整列可能定理と同値であるから、ACから無限集合はデデキント無限集合であるということが簡単に導かれる。しかしながら、無限とデデキント無限の同値性はACよりもっと弱いものである。すなわちこの同値性を仮定してもACは導かれない。