>>551
>意味論と構文論を合わせて非形式論理とする??? 意味不明。
>形式か非形式かは無関係では? 誤った主張が並ぶことの是非は趣味の問題ってだけ。

ホイヨ
下記 百回音読してね

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6
形式論理(けいしきろんり)とは、
近代(哲学からの影響の薄れた)以降における論理学である数理論理学における論理のように、形式体系として整っている論理のこと。

→「非形式論理学」および「形式主義 (数学)」も参照

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6
非形式論理学(ひけいしきろんりがく、英: Informal logic)は、現代の論理学がもっぱら扱うのは「A → A ∨ B」といったような人工的・形式的(formal)な記号によって表現する形式論理であるのに対し、自然言語といったような非形式的なものを扱う論理学やその学際的分野である
非形式論理学の正確な定義には異論もある。Ralph H. Johnson と J. Anthony Blair は非形式論理学を「論理学の一分野で、日常会話における議論・論証の分析・解釈・評価・批評・構築のための非形式的な標準・尺度・手続きを開発することを目的とする」と定義した[2]。この定義は彼らや他の専門家ら[3][4][5]が非形式論理学の書籍で書いていることを反映したものと言える。

起源と理論
形式論理学から非形式論理学への移行を理解するため、よくある例「全ての人間は死ぬ。ソクラテスは人間だ。従って、ソクラテスは死ぬ」を考える(三段論法という推論方法の例)。これは、人々が日常的に議論の対象とするような話ではない。帰結は前提から必ず導き出されるので、議論するようなことは何もない。一方実世界で人々は、どの政党が政権を担うべきか、地球温暖化にどう対処すべきか、死刑の道徳性、テレビの功罪などを議論しており、その場合形式論理学のように真理値が一意に定まるような答えは得られない。非形式論理学では、論証とは含意や内含ではなく、理性的説得のための活動や会話と解釈される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E5%BC%8F%E4%B8%BB%E7%BE%A9_(%E6%95%B0%E5%AD%A6)
形式主義 (数学)
数学の哲学における形式主義(けいしきしゅぎ、英: formalism)とは、数学を形式的な記号の操作と見なす立場である。この立場において、数学的命題は特定の意味を持たない記号の列として扱われ、証明とは、あらかじめ定められた規則(公理と推論規則)に従って記号列を変形していく操作(ゲーム)であると捉えられる。
概要
現代的な形式主義の潮流は、ダフィット・ヒルベルトによって主導された(ヒルベルト・プログラム)。ただし、ヒルベルト自身は数学が完全に無意味なゲームであると考えたわけではなく、無限を含む高度な数学理論(観念的な数学)の正当性を保証するために、それをより確実で具体的な「有限の立場」に基づく形式的体系として定式化し、その無矛盾性を証明することを目指したのである。この点において、ヒルベルトの形式主義は、単に構造の形式性を重視したブルバキの構造主義的公理論とは区別される。