>>291-294
>数学者なんて数学以外能がない人間のクズだと思うと
>数学者のいうことなんて全然ありがたく聞こえない
>数学者が偉いものだと思ってる数学者は決して信用してはならない
>数学者がどうしようもない奴だと思ってる数学者こそが素晴しい
>どうしようもない奴同士がどうしようもないくだらないことで競い合う
>その●違いっぷりが数学の実態なのである 何も一般人がありがたがることではない
>今まで、数学についてクソミソに書いてきた

ご苦労さまです
学部生のときに、教育免許をとるために、心理学が必須で心理学の単位を取った
(結局、教育実習が面倒で免許は取らなかったが)
そのときに「すっぱいブドウ」の話があって、それを思い出した(下記)

”狐が己が取れなかった後に、狙っていた葡萄を酸っぱくて美味しくないモノに決まっていると自己正当化した物語が転じて、酸っぱい葡萄(sour grapes)は自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみを意味するようになった[3]。”

繰り返す
”酸っぱい葡萄(sour grapes)は自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみを意味するようになった”

つまり、自己の能力が低く、プロ数学者なれなかったオチコボレさんがいるとして
その人が、自己を正当化するために、数学および数学者を
貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみだね

ピタリ当てはまると思うのは、私だけだろうか?

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E8%91%A1%E8%90%84
すっぱい葡萄
「酸っぱい葡萄」(すっぱいぶどう)は[1]、イソップ寓話
狐が己が取れなかった後に、狙っていた葡萄を酸っぱくて美味しくないモノに決まっていると自己正当化した物語が転じて、酸っぱい葡萄(sour grapes)は自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみを意味するようになった[3]。