>>51
> 例えば、下記の確率の公理には、”試行”は出てこない
屁理屈。
確率の公理としては標本空間は集合であればよい。何の集合であるかとか意味は問わない。
一方、箱入り無数目における的中確率のように意味を持つ確率を考えるときは標本空間は試行の結果の集合であることが必要。
公理は言語の最低限のルールである文法のようなもの。文法的に正しい文章をやりとりしても意味が通るとは限らないのと同じ。
不勉強だね君は。

wikipediaより引用
「確率論において、試行(しこう、英: trial, experiment)とは、起こりうる結果がいくつかあり、そのどれか1つだけが偶然で起こる流れのことである[1]。試行の結果全体の集合は標本空間(全事象)と呼ばれる。」

wikipediaより引用
「公理的確率論
現代数学の確率論は、アンドレイ・コルモゴロフの『確率論の基礎概念』(1933年)[4]に始まる公理的確率論である。この確率論では「確率」が直接的に何を意味しているのかという問題は取り扱わず、「確率」が満たすべき最低限の性質をいくつか規定し、その性質から導くことのできる定理を突き詰めていく学問である。」

> 例えば、下記の物理現象の確率過程には、”試行”は出てこない(物理現象なので、人がする行為ではない)
屁理屈。
確率は確率空間で定義される。確率空間は標本空間を持つ。標本空間は、意味を持つ確率を考えるとき、試行の結果の集合でなければならない。よって試行は確率の基本。人が行うか否かはまったく関係無い。

> そもそも、”試行”,”非試行”の設定しだいで、確率がいかようにでも操作できるというのは変だw ;p)
その主張こそ変。
確率は確率空間で定義され、確率空間は標本空間を持ち、標本空間は、意味を持つ確率を考えるとき、試行の結果の集合でなければならない。つまり確率は試行をどのように定義するかに依存する。

なんでこんな当たり前のことが理解できないの? おまえの数学が受験数学で止まってるから? なら受験数学なんて一切忘れることだ そんなものに縋ってても大学数学の学習の妨げになるだけ