>>72-74
>最近は、1の無理解と頑迷ぶりには迷惑しているものの、同情するようにはなった
>一方で一行しか書かない奴は「ただの偽善者」として大いに憎むようになった

ある宗教の信者、しばしば倒錯に捕らわれるという
というか、”倒錯”なしには、宗教は成り立たないのかもしれない

そこが、数学との違いだろう
数学の中は、”倒錯”は存在しえない

文学あまた、”倒錯”あたまの君には
分らないだろうw ;p)

(参考)
検索:"倒錯 宗教"
AI による概要
詳細
…
宗教の倒錯とは、救済を語る宗教がなぜ差別や殺戮をもたらしてしまうのか、その要因はどこにあるのか、といったことを探るものです。

wwwアマゾン
宗教の倒錯: ユダヤ教・イエス・キリスト教 単行本 – 2008/9/12
上村 静 (著)岩波書店 (2008/9/12)
書評
つくしん坊
5つ星のうち5.0 聖書を「再神話化」することで、「宗教の倒錯」からの解放の道を探る試み
2014年11月10日に日本でレビュー済み
著者は、本書の冒頭で、「本来、人を幸せにするはずの宗教が、なにゆえ宗教の名の下に平然と人を殺してしまうのか?」という素朴な問いに答えることが本書の目的である、としている。このこと自体は、上述の通り、宗教の進化論的生い立ちからくる宿命ともいえるが、ユダヤ教やキリスト教の場合はどうだったのか。本書によれば、ユダヤ民族の過酷な運命から、民族の精神的団結を強めるためにユダヤ教の教理が精緻な発達を遂げる。ローマ帝国支配下のユダヤで生まれたイエスは、恐らく当時の大祭司を中心とした貴族階級への支配や神殿祭儀への批判などで、大祭司から危険人物と見なされ、ローマ総督に引き渡され、磔刑に処される。その後、イエスの弟子たちは師を失った喪失感を神話として表象化し、キリスト教が誕生した。原始教会はギリシア人などへの布教を続ける中、パウロにより組織的な教会宗教として新たな展開をしていく。
「キリスト神話」は、その成立時から現在に至るまで、「罪の自覚とそれにもかかわらず赦されて在る人間という洞察を象徴しつつ、同時にキリスト信仰を救済の条件とするエゴイズムをも内包している」ことから、「宗教エゴ」と化して「いのち」を殺すようになった(p.314)。このような事態からの解放のため、著者が提言しているのは、キリスト神話に含まれる「いのち」の洞察に立ち戻り、自己絶対化の呪縛を解き放つことである(p.316)。
評者としては、著者の問題意識に敬意を払いつつも、宗教が引き起こす紛争という現代的な課題への考察を今後の研究で深めて頂くことを期待したい。