>>158
>推論もできない高階論理なんて意味ないじゃん(笑)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8F%E8%AB%96
圏論
1950年代から 1960年代にかけてこの理論は、ホモロジー代数における様々な計算の抽象的な定式化を取り込むことによって、続いて、集合論に基づく定式化では不十分だった代数幾何学の公理化を与える言葉として進展した。
さらに一般的な圏論、つまり、意味論的な柔軟性をもち高階論理との親和性があるようなより現代的な普遍的代数が発展し、現在では数学全体を通して応用されている。
(引用終り)

1980年代の古い 数学観・数学教育に毒されている
一流数学者は、一階論理では 思考していない!
 >>8より再録
<厳密だけが、数学ではない>
<数学と厳密>
あなたのまったく逆を、渕野先生が書いている
”厳密性を数学と取りちがえるという勘違い”
https://www.amazon.co.jp/dp/4480095470
数とは何かそして何であるべきか デデキント 訳解説 渕野昌 筑摩書房2013
「数学的直観と数学の基礎付け 訳者による解説とあとがき」
P314
(抜粋)
数学の基礎付けの研究は,数学が厳密でありさえすればよい, という価値観を確立しようとしているものではない.
これは自明のことのようにも思えるが,厳密性を数学と取りちがえるという勘違いは,
たとえば数学教育などで蔓延している可能性もあるので,
ここに明言しておく必要があるように思える
多くの数学の研究者にとっては,数学は,記号列として記述された「死んだ」数学ではなく,
思考のプロセスとしての脳髄の生理現象そのものであろう
したがって,数学はその意味での実存として数学者の生の隣り合わせにあるもの,と意識されることになるだろう
そのような「生きた」「実存としての」(existentialな)数学で問題になるのは,
アイデアの飛翔をうながす(可能性を持つ)数学的直観」とよばれるもので,
これは, ときには,意識的に厳密には間違っている議論すら含んでいたり,
寓話的であったりすることですらあるような,
かなり得体の知れないものである
(引用終り)
以上