>>836
>(シングルトンとの死闘とか)

(ニコ) (^^)君 ありがとう
シングルトン は、記憶にないが 下記か
競輪といえば 囲碁の藤沢秀行先生で
弟子で後の名人本因坊の高尾紳路が 競輪場まで藤沢を追いかけて 囲碁の教えを請うたという故事がある

(google検索)
競輪 中野 シングルトンとの死闘
AI による概要
1980年代の自転車競技界における「ミスター競輪」中野浩一と、カナダのゴードン・シングルトンとの死闘は、世界選手権スプリントの歴史において最も過激でドラマチックな名勝負として語り継がれています。
特に1982年のイギリス・レスター世界選手権プロ・スプリント決勝での対戦は、その極限状態の死闘として有名です。
死闘の背景と経緯
略す

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B2%A2%E7%A7%80%E8%A1%8C
藤沢 秀行(1925年6月14日 - 2009年5月8日)は、日本の囲碁棋士。本名:「藤沢 保(たもつ)」[1]。棋聖戦6連覇、史上最年長タイトル保持者などに輝いた、昭和を代表する棋士の1人

人物
棋風・人柄
高利貸しから億単位の借金がありその大半を好きな競輪につぎ込んだ。政財界に藤沢のファンがおり、そのうちの一人である元法務大臣の稲葉修が「せめて借金先は銀行へ」と替えさせ借金の保証人になったという。1976年に創設された棋聖戦(第1期の優勝賞金は1700万円、現在は4500万円)を六連覇し借金を返済した

競輪が好きで、後楽園競輪で250万円を取り、それを花月園競輪で480万円にしたこともある。亡くなる前年には競輪場で転倒して骨折している。年2回の若手育成合宿は湯河原で行われるのが恒例だったが、その日程は小田原競輪の開催日程に合わせて組まれるのが常だったという

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B0%BE%E7%B4%B3%E8%B7%AF
高尾 紳路(たかお しんじ、1976年10月26日 - )は、日本棋院東京本院所属の囲碁のプロ棋士、九段。千葉県千葉市出身、藤沢秀行名誉棋聖門下。本因坊雅号は「秀紳(しゅうしん)」
本因坊3連覇、名人2期、十段2期、天元1期など

当時の高尾は三大棋戦のリーグ入りすらできておらず、成績が伸びずに取り残されたという思いが強かったという。藤沢からは「勉強を続けていればいつか必ず結果は付いてくる」と言われ、「とにかく勉強していれば、いずれ何かいいことがあるのではないか」と考えたが、「このまま並の棋士で終わってしまうのではないか」という気持ちもあったとのちに語っている
2005年、師の藤沢が二度挑戦して届かなかった、自身初の七大タイトルとなる本因坊のタイトルを初挑戦で獲得。少しは褒めてもらえるかと報告に向かうと、「勝ち碁で何をモタモタやっているんだ」とまた叱られたという。

競馬が趣味。

+ちなみに師匠の藤沢には競馬好きであることはずっと黙っていたものの、後に藤沢の知るところとなり、東京開催の土曜日は毎週競馬場に通い藤沢と競馬を観戦するようになったという[13]。同じ競馬好きということで、近年は将棋棋士の渡辺明とも交友があり、渡辺を一口馬主仲間に引き込んでいる[14]。ギャンブル関連では他に映画監督の相米慎二とも関係が深かったという