>>836
>脱線しますが、世界選手権v10の中野浩一さんが大好きなんですよ。

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中野さんで覚えているのが
テレ東だったかの 特集で
両親はともに元競輪選手で
親父さんが 指導していて
長い坂道を自転車で登る練習をやっていた
太ももの太さが ベラボウで 周囲60cmくらい 女性の胴周りくらいだったのが
印象に残っている
当時 世界自転車選手権何連覇か中だった
「捲り」の映像も 記憶に残っている

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%B5%A9%E4%B8%80
中野 浩一(なかの こういち、ラテン文字表記:Koichi Nakano。1955年11月14日 - )は元競輪選手・自転車競技選手。競輪選手登録番号8959。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第35期生。現在は公益財団法人JKA顧問、競輪解説者、日刊スポーツ競輪担当評論家、公益財団法人日本自転車競技連盟理事(元副会長)、スポーツコメンテーター・タレント(所属は(株)アルカンシェル(社長は尚美夫人)業務提携は浅井企画)。 家族は尚美夫人

経歴
福岡県久留米市出身[11]。両親はともに元競輪選手。両親は既に他界している

祖父が中学校の校長をしていたことから体育教諭への道や[13]、プロ野球選手から転身した尾崎将司に倣ってプロゴルファーになる希望を持っていた。そんな中、当時競輪選手だった父・光仁(1982年8月25日に引退)から、一度トラックレーサーに乗ってみないかと奬められ[14]、正味3か月程度の練習の末、競輪学校第35期生試験に合格した。

1978年には競輪祭を制し、特別競輪10回目の出場にして初めての優勝を飾った。そして1980年に、日本の全てのプロスポーツ選手として初めて年間賞金獲得額1億円突破を達成したアスリートである[5]。その後、1981年の日本選手権競輪を制し、高倉登以来となる史上2人目の特別競輪3連覇を達成。1983年には史上最多の6回目の賞金王の座に就いた他、1985年に開始されたKEIRINグランプリを制し、同レースの初代優勝者となった。

とりわけ最盛期ともいうべき、1970年代後半から1980年代前半にかけての中野の強さは驚異的であり、特に「浩一ダッシュ」と称された捲りは非常に鋭く[16]、400mバンクを1周程度しか逃げ切れる力がない先行選手だと簡単に捲られていた

2006年51歳で春の紫綬褒章を公営競技の選手、及び競輪選手として初めて受章[3][4]。競輪選手としての現役時代の活躍とともに、世界選手権プロスプリント10連覇が高く評価された。中野は「現役時代に一生懸命取り組んできたことが評価されて光栄に思います。今回の受賞は自分だけの名誉ではなく、業界の後押しもあってのこと。これからも熱い思いでファンに愛される競輪のお手伝いができれば」と喜びを語った[27]