>>283 追加
結論からいうと
渕野先生が主張するのは

メディアでもちあげているらしい人
 ↓
メディアでもちあげているらしい人たち(多くの基礎論の勉強の足りない日本の数学者たち)
と読める

<根拠>
関連する(かもしれない)他のエントリーが二つ
渕野先生先生が言っている
”「平均」がおそろしく低い”
”それで,数理論理学や集合論をどこでも勉強したことのない数学者が, 彼らの言うところの 「数学基礎論」に関連する話題で, 自分の分野では感じることの少なくなっている大きな直感からの乖離に直面して, それを,論理学や集合論の体系が矛盾している,と誤認してしまうことが多いのだろう”
とあるから、おそらくは特定の個人ということではないだろう

下記「矛盾まみれの数学」の最後の
『しかし,これは,上で述べたような経験や数多くの似たような体験を思い出すと, なかなか難しいことかもしれない.... と考えると,かなり絶望的な気分になってくる』
と同じ趣旨でしょうね

では お後が宜しいようで

(参考)
<関連する(かもしれない)他のエントリー二つ>
https://fuchino.ddo.jp/obanoyama.html
渕野 昌
” abc 予想の証明はありまぁす。”
https://fuchino.ddo.jp/obanoyama.html#19.04.27
ここでヒルベルトが, たとえ矛盾まみれであっても, 集合論という「楽園」の存在を固く信じていたことが思い起こされる,
https://fuchino.ddo.jp/obanoyama.html#19.04.10
矛盾まみれの数学

読むと
『一つ前の記事でも書いたように, この表明は,数理論理学の正しい知識を持っている人が見たときには,ナンセンスとしか言いようがないのだが, そのような表明が,現在でも絶版にならず (つまり版木を割ることなしに) 流通している出版物に書かれている,ということは, そのナンセンスさや「痛さ」を理解できるためには,平均以上の知性や予備知識が必要となる, ということなのかもしれない.つまり,そうだとすると,この「平均」がおそろしく低いということだろう.』

『論理学で,ある体系が 「矛盾する」と言ったときには, その体系から, ある命題 φ とその命題の否定 ¬ φ の両方が (論理的に) 導けてしまうことを言う.しかし, 多くの人は,ある体系から,その人の直感的理解に反する結論が導けてしまうことと, その体系が矛盾していることを混同してしまうようである.
数学者は論理的な推論から自分の直感と異なる結論が導けてしまう, という体験をたくさん積んでいるはずなのだが, 自分の専門分野では, そのような体験を段階的に積みながら自分の数学的直感の方も少しずつ修正していっているので, 逆にプロの数学者は,それを体系の矛盾と混同してしまうような,自己の 「数学的直感」と数学の間の乖離を経験することがほとんどなくなってしまっているのかもしれない.

それで,数理論理学や集合論をどこでも勉強したことのない数学者が, 彼らの言うところの 「数学基礎論」に関連する話題で, 自分の分野では感じることの少なくなっている大きな直感からの乖離に直面して, それを,論理学や集合論の体系が矛盾している,と誤認してしまうことが多いのだろう』